ナチス・ドイツの経済に見る社会主義の在り方

70年。それが資本と技術を占有した大国間の戦争が終焉した忌日から今日(2015年8月12日時点)までに経た歳月となります。社会保障が行き届いた現代の一国ではおおよそ一人の人間の一生涯に相当するか少し短いほどの月日です。戦時中に生を授かった者が戦火にのみ込まれなければ今も生活をされている計算になります。さらにその上の世代になると若年期に戦争を経験しているわけで、彼らの戦争体験を拝聴することはいまや貴重なものとなります。

さて、戦後70年の経過を目前とする日本よりひと足先にそのときを迎えた国があります。それがドイツという国なのであって、今年の5月8日がその日に当たります。現在、欧州経済圏の運営に手を焼いているところですが、過去の清算に関しては東西ドイツの統一以降、うまく対処しているように見えます。具体的には当時のナチス・ドイツ(以下、ナチス)による人種政策であり、政権はその負の歴史から目を背けることをせずに謝罪する姿勢を示しています。それはメルケル首相の「歴史に終止符はない」と語る歴史認識からも明らかです。ドイツの歴史を追うとどうしても、ヒトラーが率いた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の政治主導に目が行ってしまいますが、国を覆っていた恐慌から経済を回復させた社会政策に現代に通ずる示唆が見え隠れします。

大不況という情勢下で政権に立ったのがナチ党であり、失業対策に着手します。不安定な国内経済に莫大な債務があったのですが、軍需産業に傾斜した設備投資を開始し労働力を集中させました(四カ年計画)。債務はさらに膨らみましたが40%もあった失業は解消され完全雇用がほぼ達成されたのです。その後戦争に突入するわけですが、自国通貨の価値暴落により長期の食糧や資源の調達もできずに戦局の悪化を招き敗戦に至ります。実はこの間公共投資と労働者賃金は債権の増発によって賄われており、賃金の抑制と職業の統制に支えられた完全雇用だったと言えます。

社会情勢こそ違うけれども、政権を与えるのは国民なのです。あらゆる権限を掌握した権力者は社会主義という名のもとに失業者の生活を保障する代わりに自由の剥奪と幸福の抑制を決定します。こうした救済は国富ではなく負債に姿を変えていきます。詰まる所、主義主張はさておき、長期的に見て債務を回収できるヒト・モノに資本・資金を集中させているのかという点が重要だということになります。生産性の低いもしくはその成長が期待できないところには小さな給付にとどめておくべきです。また戦争といった特殊な場合に余儀なく軍備を拡張することなども他所に大きな代償を払うことになりますから、そうした最悪の事態を避ける選択が望ましいです。以上を踏まえると、複数の権限の一極集中を防いで、権力の矛先を相互に監視する組織・機構の十分な機能が必須となってくるでしょう。

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