頻繁に行くことになる街案内 関西編

関東に続く第二弾です。前回の記事は、頻繁に行くことになる街案内 関東編
関西圏は大阪と京都が主要な都市になります。関東と関西の地理学的地形による相違は、中心部の勾配の大きさです。大阪も京都も街が平坦で、古都の名残からか河川に沿うように区画が格子状に整理されています。徒歩や車・タクシーで街中を跨ぐとその移動のしやすさを実感できます。

①梅田(大阪市北区)
大阪駅に隣接する梅田駅以南の一帯は、梅田周辺が大阪市の中心である船場の北側に位置するため、「キタ」と呼ばれます。同地区は東京・渋谷に先行して再開発が進められた地区であって、大規模に駅ビルが新設、拡張されました。じつはその主軸に百貨店抗争がありました。きっかけは東京の百貨店、伊勢丹が三越とともに大阪進出を画策したことによります。これに阪急阪神と大丸が反応し、進出に対抗するために梅田の各店舗を増改築し、三越伊勢丹もここに新設した結果、梅田地区の総売り場面積が急激に拡大し、新宿を凌ぐ日本一の規模となりました。さらに難波の高島屋、阿倍野の近鉄も追随して増床、立て替えしたことで、大阪市内は百貨店の供給過多に陥っています。消費者どころかテナントが滞ることになれば、各店が共倒れになり兼ねない危うい状況下にあります。同時期に大阪駅が大規模な改修工事を行なったこともあって、梅田周辺は数年の間にガラッとその姿を変えてしまいました。外装は新調されたけれど、大阪駅のホームの屋根には昔の古びた名残がまだあるようです。

②難波・なんば(大阪市浪速区)
梅田から御堂筋を淀屋橋、本町、心斎橋と南下したところに位置します。ちなみに、大阪と神戸では南北の道を「筋(すじ)」、東西の道を「通(とおり)」と呼びます。京都はともに「通」です。北の心斎橋から難波までの広域は、さきの船場の南側に位置する事から、「ミナミ」と呼ばれます。難波は長らく新歌舞伎座となんばグランド花月を有して、幾多の娯楽を提供しつつ文化を形成してきました。また北側の道頓堀は飲食店が軒を連ねており、“こなもん”に代表される食文化の発信地とされています。以前は荒んでいた道頓堀界隈も、道頓堀川の橋と遊歩道が舗装され、名物でもあるグリコサインなどの看板にLED照明を採用するなど、景観を改善する市街整備が進んでいます。

③四条河原町(京都市下京区)
南北にはしる河原町通と東西にはしる四条通が交差する、河原町を中心とした一帯を指します。京都は寺社を「古都京都の文化財」として、世界文化遺産に登録されていることもあって、景観を損なう大規模な開発を行なうことができないという側面があります。そのため、京都駅周辺とここ河原町一帯が京都市内の数少ない商業地区として賑わっています。南北に流れる鴨川を挟んだ西側に先斗町が、東側に祇園があって、そこには高級料亭が立ち並びます。おそらくこれほど小さい地域間で分業が進んでいる街は全国を見ても珍しいと思います。

※飛田新地(大阪市西成区)
別名、飛田遊郭。天王寺から南西に、そして日本最高層ビルであるあべのハルカスの足元に位置します。行くとすれば天王寺、阿倍野方面からは崖下のため行きづらく、同水準の新今宮などから必然的に行くことになります。ひと度足を踏み入れると、大正の建物を残した異世界に引き込まれます。料亭の看板を掲げていますが、祇園のそれとは全く異なります。表向きは料亭ですが、その実態はいわゆる赤線です。ここに赴く者は何やら複雑な事情を抱えている者が多く、ただならぬ闇に覆われています。橋下市長は「違法ならば取り締まられてるはず」と発言しており、遊郭の存在を半ば黙認しているということでしょうか。

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頻繁に行くことになる街案内 関東編

年度の変更が施される分岐に近づくにつれて、今年もまた、人々が新しい土地に居を構えることになります。そこで、その大多数が訪れるであろう関東、東京の主要な街について可視化する印象を与えたいと思います。あくまで、私の抱く印象であって、全てが事実ではありません。

【新宿】
かつてその西部は湿地帯で不毛な土地であったのですが、いまは世界でも類を見ない多大な予算を有する公共団体が超一流企業顔負けの高層ビルをそこに構えます。目と鼻の先にある公園を住処とする家なき子との対比が、資本主義社会の不条理を人の眼というレンズを通して映し出されます。また北部には「眠らない町」と呼ばれる歌舞伎町があって、そこに足を踏み入れると散りばめられた巧妙なからくりが訪れた人に時間の経過を忘れさせます。

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【渋谷】
その名の通り、周囲を幾つもの坂道に阻まれた谷の低地に中心部は在ります。行き交う混沌とした群衆に、すれ違いざまに脇腹を刺される、信号待ちしているときに背中を押される、そのような恐怖感に苛まれる空気が未だにどこか漂っている街です。少し中心を離れると、とあるIT系企業の社員が大挙する界隈があって、青春を謳歌するかのような滑稽な大人達の姿を垣間見られます。

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【目黒】
東西にはしる目黒通りと交差するように流れる目黒川の開渠が、京都・祇園の鴨川をどこか想起させる風情をもって街に趣をもたらします。その一方で、先日売却された目黒雅叙園に代表されるような、不動産バブル期以前に注目を集めるために投資先としてつくられたものの不動産価格が暴落した、負の遺産なるものがいくつか存在しています。東部の台地には日本有数の高級住宅地があり、債務返済に奮闘する西部の低地を東部の住人たちが覗き込むように見下すその視線を感じ取れるはずです。ちなみに、その地名を冠した目黒駅は目黒区ではなく、品川区に属しています(こうした駅名と区名が一致しない奇象はよく起こり得ます)。

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【品川】
東京湾を臨む太平洋側に位置し、しばしば船出の起点として機能する街、地域であります。こちらも品川駅は品川区ではなく、港区に属します。駅周辺にはホテルやオフィスビルが立ち並び、安らぎを求めてその地に足を運ぶ者はそれほど多くありません。昼食時には死んだ魚のような目をした傀儡が餌を与えられた金魚のように生き返る様を目にすることができます。

以上、特別区の名称にもなっている象徴的な街を取り上げて紹介しました。ほかに池袋、上野、東京、横浜などの街があります。今回はこの辺りで締めさせてもらいます。